上京限界7年史(転職編)

こんにちは!peingの騒動でゲラゲラ笑ってたところ気がついたら三十路になっていました。 誕生日なので何かください

ここ数年、散発的に毒吐きにしかブログを書いておらず、30歳の目標に「アウトプットを増やす」というのがあるため、一度全ての毒を吐ききろうと思う。

まずは上京して7年間で4回転職をしたこと周りの毒を吐きます。

これは怪文書です。

上京前の田舎シス管(2012春〜)

重機メーカーのマニュアルを整備する会社。時給1000円で、様々な手作業をひたすら自動化するVBA等を書いていた。(時給1000円というのは高知という限界集略ではかなり良い方)

正社員化を打診されたが、正社員の割に給料が上がらなかったので断った。しかしこのとき提案された給与を超えることはしばらくなかった。

祖父が他界し、その後のごたごたで体調を崩し退職。(祖母が街の電気屋さんに騙され数百万リボ払いで家電を買ってたのが判明し結構辛かった。)

退職後は卒業した大学の研究を手伝うバイトをしたり、ニートしていたりした。

2012年冬 1社目就職・上京

1ヶ月程ニートしたところ周りの、周りの就職しろの圧力がかかり始め、就職活動を開始。

ポートフォリオ代わりに作っていたWEBアプリで使ったjQueryプラグインのソースに求人が載っていたので応募したら受かった。

流石に都内、しかも恵比寿の会社ならそれなりの待遇があるだろうと思ったがゲロ安だった。 正確な金額は覚えていないが社保は無し(当時から違法)で、保険と年金をはらったら14万かそこらだったと思う。

また、恵比寿の小洒落た店で毎日ランチミーティングを自費でやらされたのはエンゲル係数爆上がりで結構厳しかった。

wordpressをカスタマイズしたり、PSDをスライスしてHTMLに貼り付けたりする仕事だった。

またjQueryプラグイン等仕事で使う共通部品をいくつか作ったのですが、社長の「とにかくコピペで動くようにしろ」と言うのが反りが合わなかった。 後で知ったことだが社長はXSSやらかしてmalaに叱られており、叱られてなお楽観視しており、あんまり技術者として従う相手でも無かったなと思う。

職場環境も最悪で、オフィスを間借りしている社長の友人が電話で常に怒鳴り散らしており、怒鳴っている内容も「労基が来たとき用のタイムカードを用意しろ」等で精神衛生上よろしく無かった。

なんでそんなところに就職したんだと疑問に思うかもしれないが、就職活動で東京高知を何度も往復する余裕が無く、選択肢が無かったのである。

結果4ヶ月ほどで不眠・うつ状態になり医者かかったところ

  • とにかく罵声が飛び続けている環境が悪い
  • ランチミーティングは飯食いながらくっちゃべってただけのつもりだろうが、それ9時間休憩なしでぶっ続けで働いているのと一緒
  • 長時間労働じゃなくても、帰宅後長時間パソコンで勉強してたらそれは過労だボケ
  • GJ部やめろ

と診断された。GJ部DLNAサーバーの一番上にあったので毎日見ていただけなのに、医者には異常行動と写ったらしい。

処方された薬の副作用で遅刻欠勤しがちになり、退職を申し出たところ、直近の仕事でAWSを使っており、そのサービスの保守運用を月5万かそこらで投げてくれることになった。 また、6ヶ月前に退職すれば有給が発生しないのでと打診したが、6ヶ月過ぎて有給を消化してから退職させてもらえた。

しかし、退職後facebookを開いたところ「寝坊するような社会不適合者の今後の活躍に期待しますん」等と書かれ、それがトドメの一発となり病状がかなり悪化した。 成人後死にかけたのはこれと親知らずを抜くとき歯の近くに太い血管があったときだけ。鬱で退職後はfacebookは見てはいけない。

なお、後日AWSを使ったサービスの保守の話は「安定してるし、内容把握できたから無しで」と反故にされた。そりゃ誰でもわかるようにマニュアル整えて、安定するように作ったんだから当たり前だろうがと思った。

2013年夏 知り合い経由でよくわからないベンチャーに就職

特に次のアテも無いまま退職し路頭に迷っていたところ知人経由でお誘いを頂き、賃金は据え置きだが体調面のこともあり部分リモートで働くことになった。

優秀なエンジニアがいっぱいいるとのことだったが蓋を開けてみるとエンジニアが実質自分一人だった。

社長が「なにかでかいことをしたい」ということでフラッシュアイディアやら、なんかのパクリやらをひたすら作ってはやり直してを続ける仕事だった。

いわゆるメテオフォール型開発である。メテオフォール型開発 - 実践ゲーム製作メモ帳2

結果的にこの会社で何かを世に出せたことはなく、そろそろ資本金が尽きそうという雰囲気があったので転職した。

ただ、この会社で得た物は大きく、 特にメテオフォールが来る直前に社長が誰かと会食しているという法則を見つけたので、それを逆手にとりAWSRailsの勉強を推し進めたためかなり技術力はついたと思う。

ただ、人手不足で高知から友人を呼んだところ、私を超えるゲロ安給料だったので本当にすまなかったと思っている。

2014年秋 英会話教室(仮)の情シスに転職

今までの反省を活かしRailsでできた社内システムの改修や保守運用をする情シスに転職した。

しかし出社初日、机にはiOSの入門書とMacBookAirが置かれており、社長がイケてるアプリ作って欲しいと社内ベンチャー部署が爆誕していた。

3ヶ月程でLINEのパクリみたいなアプリを開発し教室の会員向けに提供したがとくに使われず、 私を含め社内ベンチャー部署のエンジニアはメテオフォールの繰り返しに疲弊していった。

社内ベンチャー失敗後、本来の職務だった社内システムの改修をすることになった。 社内システムは陳腐化しており、ヒアリングの結果完全に作り直す事となった。

しかし、ある日出エンジニア全員が外部役員に会議室に呼び出され、

  1. 役員「お前らは能力が低い」(じゃぁ雇うなよ・・・)
  2. 役員「社内システムは俺の知り合いのC#.NETの会社に投げる」(投げるならせめて、Railsできる会社に投げて現時点の成果物流用しない?)
  3. 役員「外注に○円かかる」(その金額で眼の前にいるエンジニア全員5年くらいの給料払えるよ?)
  4. 役員「お前らが出向したら外注費用が半額になる。」(なぜ?)
  5. 役員「出向か退職か選べ。」(は?)

ということがあり、結果旧社内システムの保守要因1人を残してエンジニアは全員退職することになった。 自己都合退職にされかけたので抵抗したところ、若手の役員に「会社都合退職の場合ハロワが使いにくくなる。私は会社と社員の生活を守るために戦う!」と戦線布告され、いや社員5人無責任に切った後にそれはないだろ・・・その後、なんやかんやあって会社都合退職を勝ち取れた。

退職直前に、作りかけの新社内システムから完成した部分だけ切り出してリリースしたところバリバリ活用されたようで、せめて完成させてから退職したかったなと後悔している。

2015年春 金融系メディアのSE

時間があったので複数内定をもらった後、じっくり考えて給料のいいところを選んだ。

現職だし、特に問題点はないのだが。

入社後入れ替わりに退職した人の仕事を引き継いだのだが、

  • socket.ioによるデータ配信が独自の謎の圧縮がかかっている。非圧縮のほうがデータは小さい。
  • フロントエンドのSPAとバックエンドの奥の方にあるストリーム処理が密結合している
  • AWSのSQSでジョブ管理しているが、何故かそれを処理するワーカー起動にRedisのpub/subを使っている。

など謎すぎるサービスで大変だったとか、

一部役員のせいで職場環境がどんどん悪くなり、大半が転職活動を始めたが、その役員が謎の理由で辞めた瞬間大半が転職撤回し、 稟議がまともに通る様になったせいか、古株インフラエンジニアが意気揚々とSaaSを導入しまくり働き方改革が発生したりしたとか

担当者不在のB2Bサービスがあり、その担当になったら営業が保守の範囲で新規開発を突っ込んできたり、担当一人しかいないのにSLA99.9%を結んだりして大変だっとかありました。

知人のプログラマが転職時に紹介できるか?と聞かれるとちょっと無理な程度には良い職場なので満足しています。とりあえず転職の予定はありません。

総括

労働時間増えずに7年で給料3倍以上あがったし、まぁよかったんじゃないですかね。 給料の良し悪しって従業員が成長できる環境を用意できるか否かを含め、結局の所会社の上の方の人の能力次第なので、皆さんもガンガン転職しましょう。

この後、賃貸・ルームシェア・不動産編に続きます